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錫作家 小泉均とその作品 その4

      2015/11/04

ここで小泉氏の経歴をご紹介しましょう。

小泉氏は、大山崎にある銅器鋳造工房の家に生まれました。

幼い頃から工房に
出入りしていたという小泉氏。

大人たちの仕事ぶりを見ているうちに、
鋳造に興味をそそられ、
遊びがてら制作を手伝いはじめたそうです。

高校生の頃には、
アルバイトのような形で作業をはじめ、
その作業にすっかりのめり込んでしまいました。

高校卒業後は、
当たり前のように家業の鋳造工房で働くことになりました。

ちなみに、

鋳造というのは、

溶かした金属を型に流しこみ、
加工する手法です。

経験と繊細な技術力を要する技法で、
日本では仏像制作を主目的として、
古代から受け継がれている伝統的な技法です。

20歳のときには京都市伝統工芸技術者養成鋳金彫金課程で1年半、技術を学びました。

彫金教室修了後は工房に戻り、
仕事に打ち込む日々が続きます。

主に、

寺社仏閣の銅製品やオブジェなどを手掛けてきました。

熱心に仕事を続ける一方で、
さらに技術を磨きたいと思うようになります。

自分が意図するものを
どれだけ忠実に表現できるか
試してみたかったからです。

昼間は仕事、
夜は作品づくりという
生活がはじまりました。

作品づくりに没頭して、
朝までかかったこともよくあったといいます。

公募展やグループ展にも積極的出品します。

1972年には「京都工芸美術展」で入選を果たします。
その後も、「京展」入選(1974年)、「日展」入選(1979年)、
「新日本工芸展」入選(1982年)などの成績を残しています。
確かな技術力を身につけた小泉氏。
家業の仕事にも習熟していく一方で、
個人的に制作した作品もいくつか売れるようになり、
順調な日々を送っていました。

ところが、バブルの崩壊と、
住宅の洋風化が進んだことで
和室が少なくなり、

床の間などに飾られていた
銅器製造の仕事が大幅に減してしまったのです。

時代の流れに合わせて銅器製造とは
違った新たな表現を模索していた小泉氏は、
これまで学んだ鋳造技術を生かして
何かできるものはないかと思案を始めます。
そんななか、
以前から色彩の美しさに魅せられていた
「錫」に注目します。

錫は融点(金属が溶ける温度)が低く、
自由な造形ができるのではないか。

その錫を使い、
普段の生活で使ってもらえる
食器をつくってみたいと思うようになったのです。

錫は昔から、
神事の酒器として利用されてきました。

非常に安定しており、
人体への影響がほとんどなく、

最高級の食器として用いられていました。

現代でも、
皇室でお酒が振舞われるときには、
必ず錫の酒器が使われています。

皇室で「おすず」といえば「お酒」を指すのだそうです。

小泉氏はすぐに作品づくりに取り掛かりました。
50歳を目前した、新たな挑戦のはじまりです。

錫作家 小泉均とその作品 その5へ続く

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